読むべし!2


週刊少年マガジン  昭和43年(1968年)1月1日 1号

記念すべき「あしたのジョー」第一回掲載号。冒頭の特集(猛獣境大探検 石川球太先生のアフリカ冒険
旅行。いきなり密猟者のわなにかかり抜け出した○っこのメス象がレインジャーに射殺される様子を紹介。
あー恐い。)
のあと一番目に掲載。扉はカラーで「待望の新連載 大感動ボクシングまんが」とうたう。
単行本1ページ目のページいっぱいの遠景は掲載時は無い。ジョーがドヤ街の子ども達に囲まれ、「問答
無用ってわけか・・なんとも・・おもしろくなりそうな気配だな」というところまで。
梶原先生の原作でははじめからボクシングが描かれていたが、ちば先生が唐突だと思い、このような
第一回となった。原作どうりじゃない第一回に梶原先生は激怒したらしい。
同号掲載作品は「巨人の星」「天才バカボン」「無用ノ介」「ウルトラセブン」「ゲゲゲの鬼太郎」「豹マン」
「パットマンX」などなど。
これを手にとって毎週読んでいた世代の方々がうらやましい。わたくしは影も形もなかったのでございます。

週刊少年マガジン  昭和48年(1973年)5月13日 21号


「あしたのジョー」最終回掲載。表紙は梶原・ちば両先生の写真(撮影 篠山紀信)のうしろにキャラ勢
ぞろいのイラスト。
ジョーは真ん中ぐらいに掲載。ゴングの音とともにレフェリーが「14ラウンド終了ー」というところから
はじまる。
ちなみに同号には「愛と誠」「空手バカ一代」「デビルマン」「天才バカボン」「ロボット刑事」「男おいどん」
「レインボーマン」などが掲載。あ、あと読み切りで永井豪「霧の扉」も。
伝説のラストシーンをマガジンで見るとより感慨深い、ような気がします。

週刊少年マガジン 昭和45年(1970年)2月15日 8号


壮絶な死闘のあと、ジョーと力石は互いに健闘をたたえ合い握手をかわそうとする。が、力石はその場で
倒れてしまう。
控え室でジョーは、勝負では敗者となったものの、ライバル力石ととことんまで打ち合えたことに幸福を感
じる。そこに記者が飛び込んできて衝撃の事実を告げる。
「そ・・・・その・・・・その力石が・・・・力石が死んだ・・・・!!」
唖然とする段平・西。ジョーはただ叫ぶ。
「うおおおおわあああ」

力石の死の回が掲載された昭和45年8号。掲載時は途中に広告が入っており単行本とは若干コマ割り
の違う個所がある。
同号には「巨人の星」「ワル」「キッカイくん」「無用ノ介」「ほらふきドンドン」「ミュータント伝」「リュウの道」
などが掲載。

今更いうまでもないが、単なる主人公のライバル、という枠の中に収めてしまうにはあまりに大きく、
強力なキャラクター力石。その登場シーンこそ憎まれっ子的だったが、ボクシングに打ち込む姿、また
ジョーとの対戦を心に決めてからの壮絶な減量を目の当たりにして読者は共感せずにはいられない。
ジョーと戦わなくてもボクサーとしての華やかな未来は開こうとしてるのに、ジョーとの宿命を感じ人間
の限界を超えた減量という己との勝負に挑むその姿に「男の生き様」をみる。逃げ道をつくることなく自ら
掲げた目標にひたすら打ち込んでいく生き様を命尽き果てるまで彼はみせた。 その生き様に魅了され、
生きる糧としたのは読者はもちろんのこと、他ならぬこの物語の主人公矢吹丈だった。リングの上での
燃えるような充実感を求め、生の燃焼を全うするということを意識するのは、力石の死なくしてはなかった
だろう。


週刊少年マガジン 昭和45年(1970年)4月5日 15号

力石の死を告げる記者の言葉に衝撃を受けたのはジョー・段平・西だけでなく他ならぬこのマガジンを
手にしている読者だった。
編集部には弔電・香典・抗議の投書が殺到。
(横尾忠則・粟津潔といった著名人からも弔電がよせられた)
そしていまや伝説となった告別式が営まれた。その告別式を告知したのがこの昭和45年15号。
前代未聞のマンガのキャラクターの告別式だが、もちろんのこと後にも先にもこの力石をおいてほかに
ない。一般の新聞や雑誌でも大きく取り上げられた(『あしたのジョー』となんら関わりの無い一主婦だっ
たわたくしチェーン万次郎の母親が当時の騒動を覚えているところをみると騒ぎの大きさがよくわかる)。

この15号も掲載時には途中に広告が入っており、単行本とコマ割りの違う個所がある。自分の拳を見据
えるジョーのイラストのカラー扉がうれしい。巻頭には特別大企画として「黒沢明の世界」という企画が
あり劇画「七人の侍」が掲載されている。
で、その告知の内容はというと
力石徹が死んだ
あしたのジョーファンの集い
  • 先着500人入場無料
  • 構成・演出  東 由多加
  • 催し  アニメーションフィルム上映・ボクシング試合・力石徹葬儀・10分間ミュージカル
  • 出席者  高森朝雄・ちばてつや・寺山修司・小池朝雄・尾藤イサオ・太田照夫(田辺ジム)・劇団天井桟敷
  • 日時  3月24日午後3時〜5時
  • 場所  講談社講堂
  • おみやげ  少年マガジンのバックナンバー・ちばてつや先生の色紙・記念バッジ・レコード歌詞
ゴ セイキョヲイタミ ツツシンデ オクヤミモウシアゲ マス   全国から力石徹の死をいたむ弔辞が寄せられ
ました。若者の心に深い悲しみを残して、永遠に去っていった力石徹、ありし日の彼をしのび、その死を
いたむ集いがひらかれます。ふるって御参加ください。

というもの。また同時にジョー・力石についての作文・詩を募集している。 

週刊少年マガジン 昭和45年(1970年)4月19日 17号

昭和45年3月24日東京都文京区の講談社本社講堂で行われた「力石徹告別式」の模様はこの17号で
レポートされた。
このレポートから葬儀の内容をみてみると・・・
会場の中央部には特設リングが設けられ、正面の舞台には巨大な力石の額が置かれ、入り口には祭
壇があった。

トランペットのファンファーレのあと、リングに一筋のスポットライトがさしこむ。線香の香りただようなか、
読経の声がながれ、やがて消える。そのあと劇団天井桟敷の演ずる祭が行われる。記事をそのまま
引用すると『・・・リングの上では劇団員がゴーゴーを狂ったように踊り、エレキバンドがわめき、発煙筒
がたかれる。観客も足を踏み鳴らして、これに呼応する。音と光の洪水。熱気が会場にあふれわたっ
た。』らしい。すさまじい・・・。そのあと、アニメーションの上映・力石の追善試合・ミュージカル・ジョーの
歌(尾藤イサオがボクサースタイルで歌った)。

といった内容だったらしい。映像残ってないのかなあ・・・。
その様子は現在発行されている「あしたのジョー伝説 vol.1」でもさらりと紹介されている。
この17号掲載のジョーは、用心棒ウルフ金串がヤクザに殴りかかるところから、ゴロマキ権藤登場、ウル
フの頭をビンで殴るところまで。この回も広告が入ってるため単行本とコマ割りの異なるページがある。
また、ウルフがビンで殴られたあとジョーが思わず立ち上がり「ウルフよ・・・・」とつぶやく単行本にない
コマがある。

いまや伝説となり、ことあるごとに何かと話題になるこの力石の告別式
行きたかったー!!!
とはいえ、わたくしまだこの世に生を受けておりませんでした・・・・



 



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