この3人の出会いに感謝する・・・この出会いは奇跡だ!

ちばてつや先生が「ハリスの旋風」の主人公である石田国松にボクシングをさせようと
ボクシングジムを取材した時、
チャンピオンをめざすボクサー達を見ていて次回作の
構想がうかんだという。

そんな時、当時少年マガジン副編集長だった宮原照夫氏はちば先生のもとを訪れ
「原作者をつけてボクシングマンガを描いてみないか」
と話を持ち掛けた。
というのも、「巨人の星」を筆頭に少年誌には野球マンガは多いのにボクシングマンガが
一つとしてない、またちば先生の
次回作が「ハリスの旋風」を超えるには原作者をつけて
別な作風を取り入れて脱皮ををする必要があるんじゃないか、と宮原氏は考えていたのだ。

もちろん原作者とは梶原一騎先生のことである。

梶原一騎の直線的な鋭さとちばてつやのあたたかさからなにか
新しいキャラクターがうまれるのではないか・・・・。


しかし、ちば先生は宮原氏の申し出を断る。
宮原氏はあきらめず、ついにちば先生はひとつの条件をだして引き受けた。
「文章で読んでおもしろくてもマンガとは表現方法が違うので、マンガで表現するときには変えるかもしれない」

原作に手を加えてもいいなら引き受ける、という条件だった。

宮原氏は困り果てた。当時、梶原一騎の原作には手を加えないことが常識となっていたのだ。
書き直しを要求する編集者に梶原先生はこういったという。
「そんならあんたが書けばいいだろう、俺はな、俺の魂まで売るつもりはねえよ。」
後には引けない宮原氏はちば先生の条件を話した。梶原先生はいった。

「手塚治虫とちばてつやは別格だ。ちばならいいよ。」

いろいろな漫画家と組んでも自分の演出を超えた演出はないが、自分にない作風をちば作品のなかに
見出していたのだ。

梶原先生・ちば先生・宮原氏はちば先生がアイデア部屋と呼ぶ屋根裏の四畳半の部屋で
次回作の構想を練るのだった・・・。


そして、「あしたのジョー」は誕生する。

 

「あしたのジョー」は私に生きることの意味を問う

拳闘に魅了され、人生を駆け抜けていく。最後にはあの有名なラストシーンが
示すとおり真っ白に燃え尽きる。
新たな敵、最強の敵(敵という言葉は適切ではないかもしれないが)を求め、
自分の体がパンチドランカー症状に
むしばまれていると知りながら、彼は戦う。その先に死が待ち受けていようとも。
言うまでもなくジョーにとってはリングの上で戦うことが「生きる」ことなのだ。
最強の敵を迎えたその時最大の生きがいを感じる。
その場を放棄することはジョーにとって、生きながらの「死」を意味する。
ラストシーンでジョーは死んだと考えると、
ジョーは「生きる」ために「死んだ」のである。
「生きる」とはどういうことか?
・・・なんてね
 
 
 
 
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